660kw3基、最大1980kw
平成15年9月工事開始、11月中旬試運転開始。12月下旬から本格運転中。
試運転から16年3月までは当初の予想を上回る実績。
新風車に町内の小中学生からの公募で名前が付けられています。
風の三重奏、寿(す)ばる・風海(かざみ)・流風(りゅうふう)
1年の発電収支は経費を差し引いた発電利益として800万円以上の収入がある。(平成16年度)
利用率は当初計画通り27%で北海道で3番目の優秀な稼働率。
左写真は寿都町パークゴルフ場から見える風車群
民間風力発電計画(計画は延期)
数多くの風力発電を手がけている潟gーメンパワージャパンは
当町樽岸町浜中地区に3基で総出力1760Kwを設置すると発表。
完成は2001年6月で総事業費5億円。発電した電力はすべて北海道
電力へ売電する予定であった。
風力発電
寿都町自体が所有している全11機の紹介
年間の売電益が7−8億円、うち約半分が返済額に充てられており、残りのうち積立金(撤去費用等)・保守料で
さらに残りの数千万〜1億円程度が町に還元されている。ただ風量により売電益が大きく変動して、過去には
約1億円ほどの減収になった事もある。詳しくは寿都町ホームページをご覧下さい。
(第4期)風太風力発電所
寿都町ではさらに大型の風力発電設備一基2000kwクラスを5基設置し、稼働中。タワー高さ64m羽根の直径71m。平成17年から19年の3年計画で建設、19年10月より稼働開始。事業費23億7000万円。年間発電量2600万KW(買電額2億5000万円)経費を差し引き8000万円前後の利益を生む。
(第5期)風太第2風力発電所
寿都町では現在出力変動緩和型風力発電機を2基新設工事中(平成23年)。風力発電機そのものは風太風力発電所と同じもの(出力制限解除し1機2300kw)です。さらに、長寿命鉛蓄電池を使って風力発電の欠点と言われる出力変動を緩和する施設を新設しました。(既に2010年4月から青森県五所川原市で稼働中である)。この施設は第4期風太風力発電所5基からの電力の出力変動を緩和する役目を担っています。現在すでに両施設とも営業運転を行っています。
寿都町の風車は近くまで車で見ることができます。寿都町湯別交番の交差点から海側に曲がって右折すれば各風車のそばまで行くことができます。
余談ですが金網で囲われた変電施設の一部窓から発電量のメーターを見る事も可能です。(MWの表示になっているもの、MWは100万ワット=1000kw)もちろん中に入ることはできません
風力発電所通り 蓄電設備(出力変動緩和用) 発電機の下部(中には入れません)
◎寿都の風は質が良い!?
寿都町の風は風力発電には非常に適したものである事は今までの発電実績の通りである。
その要因は地形からくるもので、第2期以降の設置された浜中地区は大昔、長万部から続く寿都湾までが海峡であったため、噴火湾から吹き込む風が長万部から流入し寿都湾に放出される、その根本に設置されているため、常に一定の風量で持続する風が吹くので、風力発電に最も適している。海から吹き付ける風だけに頼っている所と違い、発電に必要な条件のひとつである風量の安定度が桁違いに良い屈指の最適地である。唯一の欠点は発電した電力を送電する送電線が細いため送電する電力量が限られている事であったが、第4期からの風力発電から送電線の事も送電技術の改良で22000Vの特高圧で送電することで解決したようである。
(第3期)寿の都風力発電所
(第2期)寿都温泉ゆべつのゆ風力発電所
(第1期)寿都風力発電所
地方自治体では全国初の風力発電所(現在停止中)
寿都湾を一望できる丘に設置された寿都町風力発電所です。
全国的に有名な寿都の「だし風」、当町は特に年間平均風速5.6mと測候所が 置かれている北海道内の他町村と比較し群を抜いており、この風の強さをエネルギーとして有効利用しようと、全国自治体初の風力発電施設を設置しています。通産省の地域エネルギー開発利用発電モデル事業として、1989年3月、寿都
本町の山側(寿都中学校裏山)に約1億円をかけて建設されました。施設内には14.8mのタワーに直径15mの2枚翼のブレードがついている風車が5機設置されており、風速3mで回転し始め風速8m以上で一定出力(16.5Kw)となります。その後風速25mを越えるとブレードの角度(ピッチ)が変化し、風を受けないようになり自動停止する。発電した電力は近くの寿都中学校に供給され、余剰電力は北海道電力鰍ノ売電している。ちなみに5機で一般家庭(20A契約)の40軒分の発電能力がありました。ただ、立地条件が悪いためと風車の発電量が小さいため15年間全部で200万円程度という話しです。
だし風
南南東の強風、春から夏にかけて吹く。岸から海へ向かって押し出す風ということで「だし」風と呼ばれている。 寿都測候所観測史上、最大風速49.8m/sec(1952年4月15日)という記録があり、強風時の気圧配置は東高西低型でオホーツク海に高気圧がある時、移動性高気圧の通過後、日本海から低気圧が近づく時等である。また、日本海はいつも時化ることが多いが、寿都湾内は概ね波は穏やかで船舶の避難投錨湾となっている。 強風の原因は太古の時代、寿都湾から黒松内低地帯を通り、噴火湾(長万部)までの区間が海峡となっていた(現に黒松内ではクジラの化石が出土、貝の化石で形成されたカルシウム層がたくさんある)、このため噴火湾から日本海へ向かう風は海峡を通るうちに収束され寿都湾に放出される時に強風となる。その後、海峡部分が隆起し陸地となったが、今もこの原理で昔と同じように強風が続いているというのが定説である。詳しくは寿都測候所のホームページにて解説しています。 |
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寿都の漁師は、昔から、このだし風のため、船が難破したり、海が時化て沖止めを強いられたりして悩まされ続けていた。そんな中で風を鎮めるために祭られたのが風神(かざがみ)さんである。この風神さんは片手に鎌を付けた杖を持っているのである。この意味は何であろう?それの理由は単純で「鎌で風を切って鎮めてくれる」というものである。又、これにあやかって昔は漁師も強風が続くと同じように、海に向けて鎌を棒にくくりつけていたという事である。この風神さんは歌棄地区にあり、一般に公開されていない。 このように「だし風」は本町にとっては、長い間悩みの種であったが、この「だし風」を有効活用できる風力発電はまさに「わざわい転じて福となす」といえるものである。 |